卒業旅行と独り言(かなりラフです)

こちらの記事では卒業旅行前日に骨肉腫疑いと診断されてからの、卒業旅行に関するその後について書いています。かなりラフに書いているのでその点はご容赦ください。まずは以下の記事を読むことをお勧めします。

これまでの簡単なまとめ

卒業旅行について、確定診断までの流れの記事で軽く説明した通り、2月末から3つのグループそれぞれで卒業旅行に行く予定でした、、、、、、

が、しかし、出発前日になって僕は骨肉腫疑いのため、がんセンターへの紹介状を書いてもらい、数日後にそちらに行かなければならなくなりました。紹介状を書いてもらう前に、恐る恐る主治医に「卒業旅行に行ってもいいか」と尋ねましたが、そんな時間はないとのことでした。この日が1つ目のグループの卒業旅行出発の前日でした。

確定診断までの流れの記事でも書いた通り、卒業旅行が直前に控えていたこともあり、僕は主治医にMRIの検査結果を持っていく数日前に封筒の中身を見ていました。そして念の為、旅行に行く3グループの人たちには「もしかしたら急病で行けなくなるかもしれない」とは伝えていました。

しかし、実際に先生に卒業旅行は絶対にダメと言われた以上、それぞれの旅行について決行か否かを真剣に話し合う必要がありました。

1つ目の卒業旅行

そもそも一度、旅行中止になりかけていた

まずは1つ目のグループ。1つ目のグループは男2人、女1人の3人で九州に行く予定でした。実は元々同じクラスの仲のいい3人組の男子(僕とA君とB君)で行く予定だったのですが、B君が家庭の事情で行けなくなり、観光地などを3人で予約していたこともあって、急遽代役として同じクラスの仲の良かった女の子を誘ったのでした。

この時一悶着ありました。(これは僕が骨肉腫疑いとなる前の話です。)

元々男3人で行く予定だったので、B君が行けなくなった時点で旅行自体を中止するべきだとA君は言いました。最もな意見です。また、A君は女の子が苦手だったので(彼女が欲しいなあとは言っていましたが、、、)、そういう背景もあり代役が女の子だということが嫌だったのかもしれません。当時、男の代役を探しましたが、予定が空いている人がいなかったので女の子の中でも特に僕ら3人と関わりのあるCさんを代役の候補に入れたのでした。

しかし、B君はB君で「自分のせいで卒業旅行が中止になるのだけは勘弁してほしい」と言いました。僕はこの時、まだ骨肉腫と診断される前だったので、自分が身内の事情で行けなくなった場合に卒業旅行が中止になるのは心苦しいという思いがあり、A君には「行けなくなったB君の想いを汲んでCさんを含めた3人で楽しもう」と勧めたのでした。結局長い長い話し合いの末、B君の代わりにCさんをいれた3人で旅行に行くことでみんなが納得しました。

一難去って、また一難

ところが、今回僕が直前で行けなくなったことにより、再び旅行の決行か否かを話し合いすることになりました。

ええ、みなさんの予想通り、A君は猛反対しました。「中止!中止!中止!」と叫んでいました。僕がいないと男1女1の他人から見たら完全なデートですからね。しかも3泊4日。僕は自分のせいで入念に計画を立てた卒業旅行が中止になるのは嫌だったので、2人には行って欲しいと思っていました。

しかし、A君が女の子と2人きりが苦手なのを知っていたので(そんなんで彼女できるか笑)控えめに「行きなよぉ」と言いました。ここで思いがけない一言が飛びだしました。B君の代わりに加わったCさんが「A君行こうよ!!2人だけど楽しもうよ!!私、九州行ったことないからすっごく楽しみにしてたんだよ!」って言ってくれたんです。

「まあ、Cさんがそこまで言うなら行くしかないなぁ」僕にはA君がまんざらでもない顔をしている様に見えました。そして2人は無事九州に旅立ちました。旅行中、1日の終わりごとに安否確認も兼ねて1日の写真が送られてくるのですが、それはもうカップルのようでした。僕はA君がこの旅行をきっかけに女の子に対して積極的になって欲しいと思いながら微笑ましく見守っていました。

もうカップルじゃん

そして4日後、2人は帰ってきました。もしかしたらカップル成立か!?とワクワクしながら待っていた僕ですが、世の中そんなに甘くはないようです。ですが2人は戦地をくぐり抜けた戦友のような顔つきでした。旅行中、2人の方向音痴能力が覚醒し、行き先とは真逆の電車に乗ってしまったり、目的の駅を乗り過ごしたりと色々あったそうです。でもそういうこともきっと一生の思い出になると思います。

そして、A君からは元気になれよと太宰府天満宮で購入したお守りを頂きました。このお守りは今でも入院時に大切に持ってきています。

これは秘密の話ですが、CさんはA君との旅行が非常に楽しかったようで、「また2人で一緒にどこか行きたい!!」と楽しそうに話してくれました。もしかしたらそのうちカップル成立するかもしれませんね。

残り2つの卒業旅行

2つ目の卒業旅行に関してはそもそも僕を含めて2人での旅行だったので、僕が行けない時点で中止になりました。とても申し訳なかったです。その代わりといえるか分かりませんが、後日近場で一泊二日の旅行に行きました。本来行きたかったところには行けませんでしたが、いつかまた行こうと約束をしました。

3つ目のグループですが、こちらは部活のメンバー4人でした。僕が行けなくなっても残り3人なのでぜひ行って欲しいとお願いしました。なんでしょう。部活の絆でしょうか。1人でも欠けるなら絶対に行かないと言われました。僕は何度も何度も3人で行って欲しいとお願いしましたが、それが叶うことはありませんでした。

部活のメンバーとはもちろんLINEでも繋がっていますが、僕が地元のがんセンターに移る前や、卒業式、手術前など、定期的に顔を合わせては近況報告をしたり、一緒にスポーツをしています。3人のうち1人は就職、2人は大学院へと進みましたが、僕が元気になったらもう一度旅行の計画を立てようと話してくれています。

大学の後半2年はコロナ時代

僕らも例外なくコロナの影響を受けまして、部活動で一番主要メンバーの代である3年生の時期にコロナが流行り大会は軒並み中止、結局そのまま4年生になっても大会は大学からの要請で出場辞退など。非常にやりきれない2年間でした。授業面に関しては、オンライン授業という授業開始3分前に起きればなんとかなる画期的なシステムが構築され非常に楽だったことも事実ですが、、、。その割にテストだけは対面でした。

そんな学生が旅行するだけでも叩かれそうなこのご時世、卒業旅行だけは何も考えずにみんなで楽しもうと計画していましたからね。本当に、、、、、まあこれ以上考えてもどうにもなりませんしね。前を向こうと思います。

この卒業旅行の1件?いや3件かもしれませんが、とにかく思うことは1つです。『出発直前に行けなくなってしまって本当に申し訳ない。そして、みんなが学生のうちに行きたかった。』

最後に、友に向けて

このブログを友達は読んでいないと思うので、僕の心の声になってしまいますが、「みんな待っててね。色々不安はあるけれど、必ず元気になって大学院に戻ります。主治医の先生を説き伏せるのにどれくらいかかるか分からないけど、必ず部活動の許可をもらいます。そして、もう卒業旅行とは呼べませんが、またみんなでどこかに行きましょう。」

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